誰かと過ごした時間がとても楽しかった。それがとても嬉しい。
想像もしていなかった偶然が重なり、自然と笑顔になれた。
こんなに嬉しい気分になれているのは、その相手や偶然の出来事のおかげ。
また、その相手に会いたい、また同じような偶然が起きないかなと期待する。
誰かがこんなことを言ったから、落ち込んだ。自分の能力がまだまだ足りていないことがわかった。
自分の対応が相手を満足させられるものではなかった。
私はこんな風になってほしいと願い行動したのに、思い通りにいかない。
むしろ、願った方向とは逆向きにことが進んでいる。
頭の中で原因を探したり、何かのせいにしたり、ひたすら攻撃したり。
ずっと、それらが頭から離れず、リピートしている。
誰かとのやり取りや自分自身または誰かの言動、
それらを含む、既に起こった出来事によって思考と感情が反応している。
それは当たり前のこと。それは、体験するということ。
次のステップは、
その体験に囚われこだわり続ける選択をするのか、その体験を更に良くしてゆく選択をするのか
嬉しい、楽しい出来事をまた味わいたいから、その体験したときに相手してくれた誰かに執着し、
ずっと一緒に居たら「私」はずっと楽しいだろうと考えることを選ぶ場合、
奇跡的な出来事に執着して平凡な日常をつまらないと捉えるのを選ぶ場合、
「私」を満たしてくれる何か、誰か、出来事が無いと満たされないという制限の罠にはまり、
「私」の外側に存在する「私」を満たしてくれる何か、誰か、出来事に固執する。
「私」を落ち込ませた誰かの言動のせいで「私」はずっと不快な状態のままだ。
「私」の能力不足が原因で失敗した。こんな「私」が悪いんだと捉えるのを選ぶ場合、
「私」を落ち込ませた何か、誰か、出来事さえ無ければ不快にならずに済んだのにという被害者の罠にはまり、
「私」の外側に存在する何か、誰か、出来事を否定し、影響され続ける。
それとは違う捉え方がある。
起こった出来事に対して「嬉しい」を体感したので、その出来事を共同創造してくれたその誰かに感謝します。
その出来事を準備、整えてくれた宇宙に感謝します。
更に「嬉しい」を増やしていきますと決意し、宇宙のアイに戻します。
起こった出来事に対して「落ち込み」を体感したので、その出来事を共同創造してくれたその誰かに感謝します。
その出来事を準備、整えてくれた宇宙に感謝します。
「落ち込み」の原因が「私」の中にあることを気づかせていただきました。そのことに感謝します。
落ち込む方向へ使っていたエネルギーをアイの方向へと切り替えて使わせて頂きます。
「私」を満たすことができるのは「私」の外側にある何か、誰かではなく、
「私」の内側にある宇宙とつながっている領域。
そこにアクセスしアイを授かることで満たされ、広げることができるということを腹の底から理解できました。
ありがとうございます。