古神道の意識世界とスピリチュアル

神道はなぜ存在し、伝承され続けるのか?

 古くから人間は、人はなぜ存在しているのか、死んだあとにどうなるのか、なぜこのような出来事が起こるのか、どのように行動し、生きていくべきかといったことに関心を持ち、それらを説明できるストーリーを求めてきました。純粋に不思議に思い、理解したいという欲求、好奇心で満たされていたのだと思います。これを思考により極めて行ったのが「哲学」という学問になり、科学的な実験と検証により理解しようとしているのが「物理、科学」であり、一般人を超越した存在の考えや行動から学ぼうとしたのがキリスト教やイスラム教のような「宗教」として存在しています。
 それで「神道」はというと、縄文・弥生時代より前に日本人により自然発生的に成立したと考えられており、宗教のような開祖や教義を持たないとされています。(参照:Wikipedia) 日本の歴史において古くから多くの人が馴染み、今でも根付いているのだから、その中に真理があるからだと考えるのは無茶な話ではないでしょう。その一端を見せてくれているのが「祝詞」になります。
 病気の治療を行いたくて、神道の秘技として物部氏によって行われていた「物部鎮魂法」を教わり、僅かではあるがその深淵に触れた身としては、神道は日本人の優れた精神性(スピリチュアリティ)の賜物であると信じ、古代日本人がいかにスピリチュアルな人達であったかと想像してしまいます。科学的な文明は発展しているのに、その意味で現代人の精神性は後退してしまったと感じています。その復活というか、さらなる発展の一助になればとできるだけ言語化し、多くの人にお伝えしたいと思います。

幸運・ツキについて

 神社に参拝に行く機会で多いのが初詣、七五三、合格祈願、縁結びといったイベントではないでしょうか。なぜ、人々はこのような機会に神社に足を運ぶのか。おそらく、何か個人的な願い事を叶えたい、良いこと、良い縁に出会いたいといったことが多いのでしょう。私もその一人でしたが、神道との関わりが深くなってくるのに従い、別の理由で参拝するようになりました。人が生きてゆく時間の中では必ずしも叶って嬉しいことばかりではなく、個人的な願いとは全く異なることや想定外の出来事の連続であり、自分の力ではどうにもできないことに対して「神頼み」をすることで、その成功確率を少しでも上げたいと考えるからだと思います。
 この行為はある意味正解であり、不正解でもあります。正解の部分は、この世界の事象を司るシステムについてです。物質的な何かによって出来事が生じているのではなく、実体を持たない意識的な何かによってこの世界が創造されているということです。なので、何かを成し遂げたいのであれば意識的なアプローチが最も合理的で「すぅー」と物事が起きていきます。不正解な部分は、個人的な願いを成就させたいという意図で参拝しても「神様」には届かないということです。いわゆる「神様」と意思疎通をしたいのであれば、自らの波動を「神様」の波動に近づける必要があります。放っている周波数の高さが違うため、例え、同じ空間に居たとしても認識すらできない状態なのです。そのため、自分が放っている周波数の高さを高める必要があります。
 人はその波動の周波数を低くすることも高くすることも可能で、常に高い周波数を放つ「神様」にはできないことなのです。そのため、高次の存在からのメッセージやエネルギーを受け取り、それらをそのままこの世界に放ったり、その意図をそのままにしながら翻訳するように低い周波数に変換して物質や概念、システムとして創造することができるのです。なので、神社という空間に参拝に行くことの意味のひとつは、このような高い波動を思い出すことであり、その波動を感じること、感謝や祝福、歓喜のエネルギーを受け取り、周囲に放つことにあります。このような状態のときには個人的な願いというものは頭から離れていることでしょう。
 それから、高い周波数の状態を日常生活においても維持し続けることで、物事がスムースに起こり、自他の才能が自然と開いていくように導かれる出来事が多くなっていくのです。これが、幸運やツキと呼ばれることの一つの側面かと思います。

波動について

 波動という言葉のイメージは人それぞれによって違っているかもしれません。これまで見聞きしてきた情報において頻繁に使用されてきているかと思いますが、明確な定義を説明するのは意外に難しかったりします。量子力学における「波動」は、空間を【エネルギー】が波として振る舞い伝搬する現象のことを指し、ミクロな世界における粒子の動きを推定するのに波動方程式を解いて理解しようとしています。ここでポイントになるのが「波」のように振る舞うということです。なので振動として捉えられ、特性のひとつに周波数が挙げられます。高い波動、低い波動、細かい波動、粗い波動などと表現されることがありますが、これは周波数の高低のことを表しています。人によっては、高い波動はポジティブで低い波動はネガティブなイメージを抱いたりするかもしれませんが、シンプルに周波数の違いとして捉える方が誤解しなくてよくなります。この物質世界は波動としては比較的低く、回転速度がゆっくりです。ただ、それだけです。意識世界は高い波動を放つ存在もいれば、低い場合のものもあります。ただ、それだけであり、優劣があるわけではありません。

意識世界から物質世界が創造されている

 物質は意識世界が根源となり創造されています。家や車、スマホ等の物質は設計者の頭の中で創造され、材料を加工することで製品となり、一般消費者に広く利用されています。最初は設計者の意識の中で構想されます。これは人による創造の一つの例ですが、この物理世界に存在する全てのものの根源は意識世界にあり、太陽や地球といった星々、宇宙という空間ですらそうです。【大道神儀】に宇宙創造と、その後の様々な機能としての神々の誕生が説明されています。意識世界において意図されたことが波動を創造し、周囲に放ち拡大することでエネルギーが伝搬し、適切な場所、適切なタイミングで形作られます。
 宇宙がビックバンにより誕生してから約138~267億年経過していると言われています。この間、宇宙は人間の脳で想像するのが難しいくらいの大きさで拡大し続け、今でも秒速67~75kmの速度で膨張していると言われています。単純にこの拡大し続けるエネルギーは一体どこから供給され、そのエネルギーは一体何で構成されているのか、とても気になります。これらを供給しているのは宇宙の根源となる意識です。「皆で未来永劫、発展し、栄え続けよう」という意志を持ち、感謝と祝福、歓喜のエネルギーを放ち続けてくれています。ビックバンの際に用いられたエネルギーが今現在も溢れ出し続け、宇宙全体を創造し続けています。このエネルギーが変換されたものでこの世界は構成されています。この宇宙は感謝と祝福、歓喜のエネルギーで形作られ、満たされているのです。
 宇宙の根源の意思がもし二元的なものであり、悪や間違ったものを排除するという意志を持っていたなら、恐らく一瞬でそれ以外のものだけの世界が構築されることでしょう。その場合、人間は地球に存在していないかもしれません。今、私達が認識している世界がそのようなものではないということは、宇宙の根源の意思がシンプルに「皆で栄えていこう」というものであるからです。感謝と祝福のエネルギーを用い、現在進行形で拡大し続けている宇宙(多くの銀河、星、生命、意識)を構築しているということです。

循環するシステム

 この世界は感謝と敬い、祝福、歓喜のエネルギーで満たされ、それが流れています。これが本来の自然な姿であり、この流れは様々なところにおいて成り立っています。肉体が受け取り、放つ流れや、精神が受け取り、放つ流れもあります。地球の食物連鎖のシステム、天候のシステムも循環しています。そのシステムの中で多種多様な生命がそれぞれの役割を担い、仕事を全うしています。なので、停滞するようなことを起こすと衰退するシステムに切り替わってしまいます。食べ物が発酵してより良いものに変化するのか、逆に腐敗してしまうのかといった違いが起こるようにです。
 人の思考は本来の流れから逸れることを作り出し続けています。沢山の思い込み、不自然な概念、身勝手な論理で自分と他者とを隔て、競争、格闘といった事象を引き起こしています。これが自我(エゴ)と呼ぶものです。自我は小我と大我に分類され、小我は自分本位な考えのことです。自分では正しいと思い込んでいる概念、例えば「正義のために正しいことをやっているのに」ということが大我であり、本来の流れを邪魔するものになっていたりします。山の奥にある滝の清らかな水の流れが、やがて人が住む低地に至ると濁り、川幅が広くなり、ゆっくりとした流れに変わるのに似ています。純粋で清らかなエネルギーの流れが思考という不純物で濁り、緩慢となった流れになってしまう。だから、思考だらけで生活をしていても純粋なエネルギーを感じることが稀有となり、忘れてしまう。だから、人はわざわざ山の中を訪れ、その清らかで勢いのある流れの場に身を置くことで色々なことを思い出したりするのでしょう。ただ、その思い出した波動をすぐに忘れてしまう人が多いのも今の世界の現実ではありますが。
 感覚を磨くことを練習していくと、エネルギーにより発せられている波動を感じることができます。様々な物質、いのち、空間から発せられているのをありありと感じることができます。これを感じることにより、そのエネルギーは増幅します。ただ、感じるだけでいいのです。このエネルギーは感謝、敬い、祝福、歓喜です。実際に皆が感じるしかなく、感じることができれば納得できるものだと思います。

中心

 循環とは「めぐり」です。人生においても様々な「めぐりあい」があり、思いもよらない出来事が起こってきます。これは、過去の自分が放った波動がめぐりめぐって自分に戻ってくることで起こります。誰かに怒りの波動を放ったのならば、いつの日かわかりませんがその波動がめぐりめぐって他者から怒りをぶつけられるといったことが起こります。自分への怒りは病気へと変化するかもしれません。逆に感謝の波動を放ったのならば、それがめぐって他者から感謝される出来事が起こるのです。だから、自分の放っている波動に常に注意している必要があります。
 「めぐり」は円的な運動といえるかもしれません。物理的に電子が原子の周りをめぐっていることや、地球などの惑星が太陽の周りをめぐっていることを人々は知っています。この円的な運動には中心が存在します。物理的な「めぐり」では視覚的に中心を捉えることが出来ますが、意識的な「めぐり」においても中心が存在します。人の意識においては「一霊」と呼ばれ、それは4つの特性を備えており「四魂」と呼びます。神道に「一霊四魂」として存在する概念です。「一霊」を「魂」と呼ぶこともできるかと思いますが、この呼び方には人それぞれに違う解釈が存在したりするので「一霊」と呼びたいと思います。この一霊が宇宙の流れに沿っていない人が多く存在しています。これがどういうことかと言うと、宇宙の「めぐり」から外れているため、そのエネルギーを受け取ることができず、他から別のエネルギーを奪い取ろうとする思考が発生します。これがお金や地位、名誉、財産をより多く他者から奪わないと安心できない衝動に変化しているものです。ビッグバンのときには存在しなかったエネルギーだから、どんなに補充してもいつか無くなってしまうものなのです。このようなエネルギーで満たそうとしても、例え一時期満たされたとしても不足感が生まれ、満たされ続けるといったことが起こらないのです。
 それとは違い、宇宙の根源から放たれている波動によってこの地球にも充満している感謝、敬い、祝福、歓喜といったエネルギーは誰であっても一瞬で満たしてくれるものなのです。但し、受け取る準備ができていればですが。

共鳴・チャネリング

 スピリチュアルと呼ばれる分野に「チャネリング」が存在し、特別な能力を持った人が不思議な宇宙生命体や神様などと意識を合わせ会話したり、情報を得たりしています。これはチャネラーが自己の波動の周波数を対象の存在に合わせ、共鳴させることで行っています。人はその波動を低くも高くも変化させることができると前に書きましたが、正にこの能力を使用しているのです。というのであれば、その周波数を高め、宇宙の根源と共鳴させることが最高のチャネリングになることは言うまでもないかと思います。そのような状態を創造したくて古くから神社に参拝し、その霊気に触れて、神社という場の波動に共鳴し、チャネリング状態になることで叡智を授かったりしていたのだと思います。太古の人々にとって天候不順や病気やケガといったアクシデントは死活問題だったので、神社がそれらを解決するサポートになっていたのではないかと考えます。病気の治療として物部鎮魂法が生み出されたように。
 ただ、忘れてはいけないのは自己をそのような状態に変化させるのに必ずしも神社に行く必要はないということです。一瞬で感謝、敬い、祝福、歓喜のエネルギーを受け取り、めぐらせることは可能です。そして、その状態を24時間、365日ずぅっと続けることで、必要な情報が必要なタイミングで受け取ることができ、すぅっと必要な行動を起こすことができるようになります。まずは感謝のエネルギーを感じることから始めれば良いかと思います。それを感じるのに何か理由は要りません。ただ、感じるだけです。これがポイントになります。
六根清浄大祓」に記されていますが、このように宇宙の根源からのエネルギーを絶えず、受け取り、放つ活動を継続することで万物の霊と同体となることができ、そのような状態からの願いというものは必ずや成就するということを太古の日本人は知っていたということです。

トラウマになっている記憶の癒やし

 ほとんど誰にでも「心の傷」という類の記憶が存在しているかと思います。この正体は、「心の傷」になる事象が発生するより前に自我が産み出した波動(バイブレーション)がめぐりめぐって帰ってきたものがほとんどです。
 しかし、ほとんどの人はその正体にきづくことができず、自分または他者を更に攻撃するような波動(バイブレーション)や落ち込みという波動(バイブレーション)を産み出してしまい、それが後にまためぐってくるということを繰り返してしまっています。

 もし、この連鎖を断ち切ろうとするならば「心の傷」を「癒やす」必要があります。
ここでいう「癒やし」とは、宇宙の根源が想像したエネルギーが本来の宇宙の意思に沿った波動(バイブレーション)として拡散できるように、波動変換を行って本来の純粋なエネルギーに戻すということです。

 ここで様々な方法により純粋なエネルギーに戻す作業が試みられるかと思いますが、その際に重要になるのが波動(バイブレーション)にフォーカスしすぎず、その根源となっているエネルギーにフォーカスすることです。記憶が鮮明であればあるほど自我が創造した波動(バイブレーション)から離れられず、一体化をしてしまい、なかなか純粋なエネルギーにフォーカスし難い状態におちいることがあるかと思います。その際に忘れないようにして頂きたいのは、なぜ「癒やし」をしようと思い、その作業を行おうとしたのかという意思です。この意思を持ち続ければ、多少の時間は掛かったとしても必ずその「癒やし」は達成されるでしょう。

 波動(バイブレーション)の元になっている純粋なエネルギーの方を忘れず、それを敬い、そのエネルギーへの感謝を実感してください。