世界の国々に様々な歴史があり、民族が住んでいます。現代においてそれらは、同じように肉体を持った人間だという認識でいるかと思います。
多様な民族の中でも、先祖が神々であるというのはケルト民族と日本人だけだと言われています。その他の民族の多くでは、偉大な神が人間を創造したというように伝承されています。キリスト教では創造主がアダムとイブを創り、その二人を起源として、その子孫が現代人とされています。ネイティブ・アメリカンではグレート・スピリットが人間を創ったとされています。
日本においては、古事記にそのように記されています。八百万の神々が存在すると考えていた古代の日本人は、一体どのような世界観、人間観で物事を認識していたのでしょうか?
その手がかりとなるのが古神道だと考えています。古神道の神事や祝詞には日本人の精神性がどのようなものであったかの手がかりが沢山あります。
最初に触れた先祖が神々である2つの民族と、それ以外の先祖が神によって創られた民族。これらの伝承の違いは、人間という存在をどのように捉えるかという視点の違いにありそうです。人間を、その本質が意識性のものであり、それらが肉体を創っているという考え方があります。個人的には圧倒的にこの考え方を支持していますが、一般的ではないので否定的に捉える方もいるかと思います。ただ、この考え方を採用したとして、人間は神々と同様に意識存在であるという捉え方と、その意識存在が創り出した肉体という物質として捉えるのかの違いです。神の子孫であるとされるケルト民族と日本人が特別なのだということを言うつもりは全くありません。
自己の内側に向かって意識を深く掘り下げていって観る視点と、外側に向かって観る視点の違いによって、神に創造されたのか、神の子孫であるという伝承の違いが発生したものと考えています。