身体の中で脳が司る役割は大きく、脳死が肉体死の定義として使用されるくらい重要な器官であることは周知の事実だ。ただ、これはあくまで物理世界の視点、尺度においてに限る。この物理世界のエネルギーは意識世界であることを記したが、脳も当然、意識世界とリンクしている。このリンクが無くなった状態が脳死かもしれない。
慶応大学の制御工学の専門家である前野 隆司教授によると、脳から各筋肉に「動け」という指令がでる0.5秒前にすでに筋肉は動き出すらしい。この僅かな時間ではあるが、脳の指令より早く伝わる情報はどのような仕組みによって伝えられているのだろうか?
神智学では肉体とオーバーラップした状態でエーテル体、アストラル体、メンタル体などとカテゴライズされた意識性のものが存在されるとしている。その他の大系では、ライトボディといった意識性のものが存在するとされている。このような意識性のものを知覚するには、変成意識となることで達成できる。これは、脳による思考の世界で知覚することは難しく、経験として味わってみないと理解されないところではある。
この意識性の身体の状態が停滞してくると、思考の世界が活発化してくる。エネルギーを意識世界から受け取ることができなくなってくる。そのため、物理世界のエネルギーが必要と脳が考え、食べ物や飲み物、お金が必要という主張を強くするようになる。そこで、人間が何回となく繰り返してきたドラマが始まる。
六根清浄大祓という祝詞には、この意識的な身体のことを表現している。太古の人々は意識世界が現在より進化していたので、文章として記録することができていた。祝詞には、肉体の五感で知覚した様々なケガレに対して、全く異なる意識の五感で知覚できる状態があり、これは決してケガレないとしている。全くもって、そのとおりで、別の表現で「なおび」とされているものと同一だと思う。このケガレた状態を司るのが自我である。なので、本来の純粋な意識状態である「なおび」から外れた状態を「自我」と定義することができる。「なおび」は人類や宇宙空間の最も根源であり、純粋でパワフルな領域とリンクしている。