神道の意識世界② 意識世界と物理世界

 形のない、目には見えないが人間が想像・思考した「何か」を、ハードウェアであれば物質の形状として、ソフトウェアであれば機能として仕事を行うように変換したもので物理世界が形成されている。音楽や美術も同様の仕組みと言える。最初の「何か」を得ることを「インスピレーションを得る、閃いた」と表現されることは多い。実に曖昧で定義が難しい「何か」である。この「何か」は物理世界にはまだ存在していないという意味で、意識世界に属していると捉える。すると、物理世界を形成するためのエネルギーは意識世界そのものと言える。意識世界で最初に創造されたものが、ある時間経過を伴い現象化したのが物理世界とゆうことになる。別の表現をすると、「無から有を生み出す」ということ。ただ、この場合の「無」とは物理的には「何もない」状態から物理的に「存在する」状態への変化という意味を持つと共に、無限の可能性のある状態だが形が存在しない「無」という状態から、1つの可能性にフォーカスして結実した状態への変化のことも意味している。ということは、意識世界には無限の可能性が眠っている。どんなことでも実現化できる可能性が平等に存在し、思考領域において止めどなく発生する「こんなことを達成するのは無理だ」といったノイズが全くない。そんな世界だ。
 この状況を表現しているのが、大道神祇という祝詞だ。この祝詞では、宇宙のはじまりについて表現しており、ビックバンのことと捉えてよいと思う。正に、無から有が生まれたことを表している。ビックバンが起こった後に八百万百の神々が生まれる内容だが、意識世界に神世界が形成された様子を表現している。初めてこのことを教えてもらった際に、このようなことを太古の人々が認識し、後世に残しているということに大変な驚きと尊敬の念を抱いたのを覚えている。日本人に限らず太古の人々の精神世界は、現代人のそれよりも遥かに豊かだったに違いないと考えている。
 この世界はフラクタル構造でもあるので、宇宙規模での視点においてはビックバンであるが、人間が日々の活動の中で行動している際も同様のことが発生している。なので、誰でもが平凡と感じているかもしれない日常生活の中には無限の可能性が潜んでいて、発展する可能性も衰退する可能性も同じように存在し、何を選んでこの世界に実現化しても良いのだ。付け加えると、宇宙や神々はその起源から今までずっと全ての存在が発展することを後押ししようとしてくれている。それを受け入れるかどうかの選択は、皆に委ねられていているので、受け入れることを推奨する。ただ、それを素直に受け取れない状態の人が多いのも事実なので、どうすればよいかについての考えは別に記載したい。