神道の意識世界⑤ その行動は、どことリンクして受け取ったエネルギーによるものか?

「なおび」である状態だと「自我」ではないので、「自我」のやっていることが客観的に捉えることができる。そして、根源とリンクしているからそこからエネルギーを受け取ることができる。一方、「自我」は根源からのエネルギーを受け取ることができないから、別の領域から受け取らざるをえない。なので、そのエネルギーを物理世界から賄おうとする。「なおび」であれば、物理世界において他者からエネルギーを奪う必要がない。むしろ、エネルギーを他者に渡すことができる。

そもそもこの宇宙の中に存在しているということは、この根源から産み出され、始めからずっとその恩恵を受け取り続けているということなので、とてもありがたいことなのだ。ということは、この根源を経由して、ありとあらゆる存在とリンクすることが可能ともいえ、同じ根源から産みだしてもらった子供のようなものという意味もあり、万物との「差がない状態=差が取り除かれた状態=差取り=悟り」になる。宇宙の根源とつながっているのだから、叶わない願いなどはないと説明しているのが六根清浄大祓祝詞になる。

 だが、残念なことに人類のほとんどはこの根源とリンクする時間があまりにも少なく、ほとんどの時間は「自我」によって制御されている。だから、叶えたいものが叶わず、うまくいかない、愛されていないという解釈をしてしまう。ますます、根源とのリンクが外れていってしまい、自我とのリンクが強くなる。なので、どことリンクしているのかということがとても重要で、より良い現実を創造したいと願うなら、根源とのリンクを継続すること、それも未来永劫において繋がり続けるということが大事になるし、そのような意志をもつこと、覚悟を決めるということが必要になる。

 このように説明してきたが、決して自我を悪者にするわけではない。自我は自我で過去の記憶から同じ失敗を繰り返さないように一生懸命なだけなのだ。とはいえ、根源とのリンクが切れているので、そもそも発展していかない。なので、自我と共に成長、発展、進化していくことが必要になってくる。足の引っ張り合いは、人間であれば過去生も含め、散々やってきている。もう、その機能しないやり方ではなく、本当に宇宙が望み、最初からずっと後押しをし続けてくれているやり方で日々を生きることが必要なのだ。